大蔵流狂言【善竹忠亮】語る

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2005.01.01 Saturday

口移し




祖父から稽古初めの口授を受けて以降は父から教わりました。 口授といっても口頭で説明されるのではなく、「口写し」と言って直に口から口へ伝えられます。あ、勘違いしないでください、人工呼吸のように直接口にセリフを吹き込まれるのではありません。そんなことをしたら窒息してしまいます。横文字に直すのであれば直訳のマウストゥーマウスではなく、マンツーマンのことです(笑)
  
 
師匠と対座して、師匠が言うセリフをそのまま鸚鵡返しにします。最初のうちは気恥ずかしくもあり、小さな声でボソボソとやりますので、「もっと大きな声で」とか「もっとゆっくり」と声が飛びます。ちょっと勇気を出して耳で聞いた通りそのまま返していくと、段々ノッてきます。そうなると今度は稽古を終えるのが嫌になってきます。
 
 
稽古が終わった後のおやつも楽しみでした。
階下では祖母がいつも聞いていてくれました。「よく頑張りました」「今日はよく声が出てました」などと言ってお茶やおやつを出してくれました。どうしても舞台の上の事ばかりに気が向きますが、こうやって舞台を降りたあとに母親や祖母にねぎらってもらうということはとても大事なことだと思います。
 

舞台の下といえば、稽古も舞台の上ばかりではありませんでした。
自宅のアパートの居間でラジオを相手に稽古したこともありました。「これはラジオやないか」と抗議したら、「これが口でこれが目や」と解説され、「えらい四角い顔やなー」と思いながら稽古していると、本当にラジオが話しかけてくるようで気味が悪くなってきました。以来そのラジオが嫌いになりました。
 

このように稽古としての体裁が整ってなくても、保育所に通う車の中、父に手を引かれて歩く道すがらに突然始まる「以呂波」の問いかけに、ほとんどゲームのように興じました。そして何といっても父と一緒に入るお風呂の中!台詞そのものより、父のコトバの作る波動に身を任せることが何よりの喜びでした。

2005.01.01 Saturday

稽古始め



六つの歳の六月六日の日をもって稽古を始めるようにと世界最古の演劇論を著した世阿弥は述べています。しかし、現代はもう少し早くに稽古を始める傾向にあるようです。私の場合は四歳の誕生日でした。


祖父宅は家から数分のところにあり、二階には舞台の形をした小さな板張りの部屋がありました。ここが私の狂言の始まりです。普段着慣れない着物を着せてもらった興奮は今でも覚えています。
「ずっとこのままで暮らす」そう言って周囲を笑わせていました。
 
 
狂言の伝承には「祖父から孫へ」という習慣があるそうです。祖父は当時はすでに身体を悪くして、普段は横になっていましたが、孫の稽古初めに床を抜けて、自ら「伊呂波」を口授してくれました。事前に父母から「今日からお前も狂言するんだよ、お稽古始めるんだよ」と言い聞かせられていた筈なのですが、ピンと来ていなかったようです。ポカンとした顔で何度も隣の父を見上げては父に「その通り言いなさい」と促されました。

今となってはバカみたいな話ですが、その時の私の頭の中は、「おじいちゃんも狂言できるんだ・・・」と言う事で一杯だったのです。祖父の狂言をしっかりと見たことがないだけに、父だけが狂言をする人なのだ、と勝手に思い込んでいたのです。
 

おじいちゃんも狂言ができる!新鮮な衝撃でした。さだめし間抜けな顔をしていたことでしょう。ずっと後になって「伝統」という言葉を知り、「伝統」という言葉の入った質問も受けますが、私にとっては父親の父親が狂言が出来る。そのまた父もその先のずーっとあっちの父も狂言が出来る、そのことだけでお腹がいっぱいです。

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